1999年3月10日

思いつき- 前日まで

友人と「海外行きたいなぁ。」と言う話になった。
とにかくオレは海外は初めてなんで、とりあえずはパスポートを取りに行くことにした。
さっそく、現住所と本籍の区役所2軒まわって旅券事務所へ(全部近場で良かった)。

さて、何処に行くってことで。
・勝手きままに散歩できるのがいい。
・古い街っていいね。
・ヨーロッパがいいなぁ。
・安い方がいいなぁ。
とか言って、パンフばかり見てどこに行くか話し合っててもラチがあかない。だいたい、2月下旬に申し込んで3月上中旬に合うのか?ということで、とりあえず旅行代理店に出かけた。
四条まで出ていろんな旅行代理店で、探しに探し、歩きに歩き、読みに読み、悩みに悩んだあげく、
「アテネ・パリ8日間 (内容は、飛行機とホテルのチケットに空港・ホテル間のお迎え付き、添乗員なしの完全フリー)」
ってのに決めた。(8日目って関空到着だけなないかってつっこみたくなるとこでしたが。)

次は旅の準備のお買い物。
日常あまり買わないモノを買いに行くのはむちゃ楽しい。
そんなこんなで、旅行用便利グッズ屋さんへ行き、「なんやこれ」「なにに使うねん」って盛り上がりながら、必要な物からたいしていらないようなものまで購入。

そして、ネットで旅行記をあさり細かい行き先を考える日々。

1999年3月11日

アテネへ

本日の予定
「京都−(特急はるか)−関空−(飛行機 フランクフルトで乗り換え)−アテネ」

さて、初日は移動だけ。とはいえ飛行機に乗るのは初めてなので、それだけでも満足。
初セキュリティーチェックは、お約束のように「ピンポーン」と鳴る。ポケットの中身を全部出してもまだ鳴るし。結局、ベルトの金属が反応していたみたいやった。これから空港に着くたびにこうなるのかなといささか不安を覚えつつのスタート。

飛行機に乗ると「日本がほんとに日本地図の形をしているのを観るて感動する」って友人が言っていたので楽しみにしていたが、日本は曇っていて残念。
ロシア上空に入ってからはすごくいい天気。さすがにロシアは広い。どこまでも山っポイ、しかも真っ白の雪景色。上は青いと言うよりは紺の当然のことながら雲一つない空。やっぱり上空はいい。飛行機初めてだから最初はずーっと外見てた。
で、音楽聞いたり、映画見たり、軽く寝たり(乗り物で寝るのは苦手)して、約10時間で、とりあえずドイツのフランクフルトに到着。
そして、乗り換えのアテネ行きが出発するまで7時間待ち。なにもする事がないので長い長い。はじめ空港には、同じ飛行機で来た日本人がいっぱいいたのに、フランス行き、イタリア行きと、どんどん飛んでいくうちに日本人はオレらだけになってしまい、なかなか寂しい状況。
あとで知ったのだが、トランジットの間にフランクフルト観光できるツアーがあったらしい。

そんなこんなで、関空を出発して約22時間、現地時間で夜中の1時にやっとアテネに到着。とりあえず、お金をドラクマへ両替。
空港には黄色いベンツ(タクシー)の現地のおじさんがお迎えに来てくれてた。(夜中にご苦労さんです。)おじさんは、ライトアップされたアクロポリスなどを通ってくれたりして、簡単な会話をしながら、ホテルまで送ってくれた。とにかく見慣れない街並みなので、気分は「おお」って高揚してるのだが、カラダ的は疲れててとにかく休みたいって感じやった。

さて、ホテルに着いて、日本語が通じるわけでもないので英語でチェックインをするわけだが、朝ご飯だとかそういうのはわかったものの、途中からは「この人、何言ってんだ」。で、適当に答えてやっとのことで部屋に入ったのだが、電気が付かない。しかたないので、またロビーに戻って、「ライトつかへん」ってことを何とか伝えると、「差し込むねん」みたいな感じで説明してくれてるんだけど、よくわからない。で「えっ?えっ?」とか困ってみると、「じゃあ、やりましょう」って、わざわざ部屋まで来てやってくれた。カードキーを壁にあるカードケースみたいなところ(真っ暗で見えなかった)に差し込むと、部屋の電源が入る仕組みになってた。(ほとんど旅館にしか泊まったことなかったのでそんなんしらんかった)
でもって、やっと休むことができた。
ホテルは、空港からタクシーで30分、商業街の中心地のオモニア広場とシンタグマ広場の中間のにあるティタニアホテル。駅にも近く観光にも便利なロケーション。旅行ガイドでは中級ホテルと書いてあったのだが、明るくいい部屋で、ホテルの人もいい人やった。

1999年3月12日

アテネ市内をぶらつく

本日の予定
「アテネ市内をぶらつく」

朝ご飯はバイキング。一通りおいしかったが、何よりもクロワッサンがおいしかったのが満足。

ギリシアといえばとにもかくにもパルテノン神殿ということで、神殿のあるアクロポリスへ向かった。ついでに街並みも見ていきたいからホテルから徒歩で行くことにした。
中央市場などの地元の人たちでにぎわう通りを歩くこと30分くらいで、まわりを断崖に囲まれたアクロポリス丘が目の前に見えてきた。しかし、目の前にあるのに入り口への道が見つからず、住宅街をさまよい歩きアクロポリスの丘の入り口に到着。広いのに入り口は1つらしい。
パルテノン神殿はまだまだ修復中という感じで、工事用の足場などがあった。でも、こうやっていつもテレビや写真で見ていたモノを間近で観れて感動。あまり映されない裏側を観るとエラく新鮮。
で、さすがに観光客が多い。海外の小学生(?)の遠足か修学旅行の団体も観た。「あー、あの先生の大変さは世界共通なんやねぇ。」

次は、アクロポリスの丘の横にあるゼウスの神殿。2世紀ごろにできた神殿で、かつては柱が104本ほどあったそうだが今では15本のみ。柱が15本だけの広場なのだが、あまりにも誰もいないので、なんとも落ち着くひととき。(なんせ、海外慣れしてないから、どこ行っても緊張してたから。)この誰もいない広場で、偶然にも日本人の女の子に逢った。彼女はヨーロッパ中をバックパックで回ってるという。
他にも、ゼウスの神殿に行く途中「アテネ滞在8時間だけ」というお兄さんにも逢った。こうやって、たまに逢う日本人と話すのが楽しい。日本で逢っても絶対話さないやろうし。これが日本人の少ないところを旅行する楽しみやなと感じた。

アテネで観光や買い物をする範囲はだいたい3km四方におさまっているので、じっくり観るわけでないなら2日もあれば堪能できると思う。アテネには博物館などの観光名所がいっぱいあり、人気のあるアクロポリスや国立考古学博物館は平日なら夕方まで開いてるが、そのほかは15時には閉まってしまうところが多いので注意がいる。とくに土曜日は早く閉まるみたい。レストランなどの飲食店はだいたい夜中までやってる。

アテネの街を歩いていて目立つのが、駅のキオスクのような店。特に中心部の大通りにおいては、数十メートルも歩けば1軒はあったが、自動販売機はほとんどなかった。また、クルーリっていうドーナツの大きくした形のゴマパンを売っている路店もいっぱいあった。また、ユーロマネーが出たところだったので、宝くじみたいに商店街の中でユーロを売ってるというか両替というかやってた。
他に気づいたことは、車優先であること。うかうかと歩いていたら跳ねられそうな勢い。横断歩道も青の点滅なしにバスッと赤に変わっちゃうし、しかもタイミング一定じゃないし。
あとは、アテネ中心地でも道がガタガタなのでアテネオリンピックに向けて整備の工事が盛んやったなぁ。

そして、我々が見事にやられたのが、大きな肉の固まり目印の、ギリシャのファーストフード「ギロ」。
これがうまい。豚、鶏、マトン、ラムなどの肉をピタと呼ばれるパンというナンというかお好み焼きの生地みたいなので、くるんだファーストフード。香ばしく焼けた肉がいい。

1999年3月13日

地中海の島へ

本日の予定
「ピレウス港から地中海の島へ」

ピレウスはギリシャの海の玄関ともいえる、地中海でもトップクラスの国際港。そこに行けば、適当な島へ行けるわけで、まずはピレウスへ行くことにした。
ピレウスはへは、アテネから地下鉄(といっても地下は3駅くらい)で向かう。つんつん頭の一見怖そうなお兄ちゃんらがいたりして、いろいろ珍しいモノを観ながら、約20分でピレウスに到着。
できればミコノス島に行きたいんやけど時間的に無理なので、最寄りのエギナ島に行く。でもどうすりゃいいんだかわからず、港でうろうろしてると、クルーリ売りのおっちゃんが、「エギナにはこれに乗ったら行けるし、
帰りは8時まで1時間に1本出てるで」(英語)と教えてくれた。ええおっちゃんや。

そんなこんなで、フェリーに乗り、地中海の風をうけること約1時間でエギナ島に着いた。せわしなく賑わうアテネと違って、島って感じののどかさが一歩目から感じられた。

港の街並み。とりたてのタコの足を焼いたものを買ったのだが、おいしかった。またそこの店のおじさんは「タコ、タコ」と客寄せをしていた。なんとも日本人用。

裏路地。白壁で地中海の街って感じがよい。みたかった物が観られた感動。この先には、どんなところがあるのだろう、って感じの路地の広がり方がいい。途中の小さなお店で、ドットで全面に風景をプリントした日本ではお目にかかれないようなTシャツも買った。けっこう値引いてもらえてちょっとうれしい。

紀元前5世紀に建てられたアポロンの神殿。今では写真の柱1本のみになったそうだ。この写真の撮り方からもわかるように、さわっても怒られないのがスゴイ。

1999年3月14日

パリ ルーブル美術館

本日の予定
「パリへ - パリ市街散歩 - ルーブル美術館」

もっといろいろ行きたっかったけどギリシャをあとに、今日はパリへ。今回はドイツのミュンヘンで乗り換え。乗り換え時間は1時間なので、前回と比べてかなり気が楽。
ミュンヘンからパリの間は、ずーっと畑が広がってたり、平野に森が続いてたり、さすがヨーロッパだなと飛行機から外を見続けること2時間弱でパリに到着。シャルルドゴール空港に着いてイミグレーションなしに表へ出た。どうやら、ユーロ圏は国内線と同様の扱いらしく、ドイツで一度ユーロ圏に入っていると言うことで、パリではパスポートにスタンプを押してもらえなかった。フランスに行ったのにスタンプがなくてちょっとさみしい。

ホテルに荷物を預け、とりあえずパリ中心街へ。
パリの地下鉄(METROとRER)は東京並みに路線が多くそこら中を走っているので、大抵の移動はメトロで行ける。回数券や数日間乗り放題券もあるらしい。とりあえず回収券を購入。
パリの街は、建物はだいたい同じ色で同じ高さ、看板も目立たせようというよりは周りに合わせていて、全体的に調和のとれたとてもいい感じ。パリの中心から少し離れたところにあるラ・デファンスというところに、近未来的な街ができているらしく、歴史ある部分と新しい部分を分けているところがすばらしい。また一見複雑な道路に思えるのだが、大通りを歩けばオペラ座や凱旋門といった目印になるところに必ず行けるという街作りがされているように思えた。
ただ、地下鉄の出口(特にオペラ座駅)では切符が道にいっぱい落ちていたりと、道路が汚いのが残念。このあたりは馬が中心だったころからの文化なんやろな。
そんなこんなで、「さすが日本人が多いな」とか「日本語文字も多いな」とか感じながら散歩。なかには、[コンビニ]と書かれた店があって、新聞とかお店の人とかお客とか完全に日本ってお店もあった。

やっぱりパリといえばここに行かなくちゃと、ルーブル美術館へ。この日は入場料無料。ルーブル美術館は広いと聞いていたので、館内で販売されてる「はじめてのルーブル」っていう日本語ガイドブックを購入して進む。
いやーさすがルーブル美術館。広い広い。そして作品が多い。モナリザ、ミロのビーナスをはじめ、観たことある作品がずらりで、全部見てたら一日じゃ足りない感じの数。有名な作品以外でも、すばらしい作品がたくさんあった。ガラスのピラミッドや新しくできた広いショッピング街など建物も楽しめる。日本との違いを感じたのは、彫刻などのよっぽどの作品以外は囲いがされておらず、モナリザでさえさわれる距離でじっくり鑑賞できたこと。日本じゃありえないなぁ。
なお、ルーブル美術館は入り口でX線のセキュリティチェックもあることから、中央のピラミットからの入場は並ばないと入れないこともあるそうだが、そのほかの3ヶ所(メトロのパレ・ロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅から地下街を抜けたところ、カールゼル凱旋門わきの入り口、リヴォリ通りの装飾芸術博物館横)の入り口は、比較的すいているらしい。

ルーブル美術館が閉館時間になったのでまた散歩に。ルーブル美術館からコンコルド広場を抜けシャンゼリゼ大通りへ。そしてその先の凱旋門まで行ってみることにした。「シャンゼリゼ」どんなに派手なところかと思いきや全然違って、どちらかというとシックでおしゃれな感じで、さすがフランス。派手に飾らない。しかし、この日は日曜日で休みが多い。そう、パリでショッピングをするには日曜・祝日はほとんどのお店が休みなので避けたどうがいいらしい。凱旋門に着いた頃にはすっかり日が沈んでいたのでまた後日来ることにする。

1999年3月15日

パリの名所巡り

本日の予定
「パリの名所巡り」

なんとパリには、大きな駅または凱旋門のところにあるパリ市観光案内所で売られている、数日間有効のパリ周辺の美術館・モニュメントのフリーパス「カルト・ミュゼ・エ・モニュマン」というのがある。(ただし一部割引)これは絶対お得で、これを持っていれば、大抵の美術館やモニュメントで入場券を買うために並んだりする必要がない。

まずは、ノートルダム寺院へ。
何度も映像で観たセーヌ川沿いの道や橋といった景観、やっぱり実際に観るときれいです。しかし、セーヌ川の水が多くて、セーヌ川の河岸歩道が歩けなくて残念。
そして、セーヌ川のシテ島にある、ノートルダム寺院。外装工事中でちょっと残念(なんや残念が多いなぁ。)やったが、一歩中にはいると高さや広さ、装飾品やステンドグラスとかによる、空間というか、映像とは違ったライブ感ある雰囲気が最高。

さて、次にノートルダム寺院のすぐ近くにある、マリー・アントワネットの独房ともなっていたコンシェルジュリーへ。まず建物の外見からして、いかにもフランス革命時の牢獄って感じが漂う建物。華やかなパリにも暗ってところもあるのが感じられた。
そして、コンシェルジュリーとつながっている、サント・シャペルへ。ここはステンドグラスがすごくて、ステンドグラスの壁ってほどステンドグラス。これは一見の価値あり。

さて今度は、市民の憩いの場って感じのリュクサンブール宮殿のあるリュクサンブール公園へ。ずーと、ぼーっとしていても飽きないような、そんな感じの大変広くて落ち着くってところやった。
そして住宅街を抜けて、やってきましたエッフェル塔。かなり歩いた突然、「あー観たことある」って風景を見た瞬間は感動した。どこ行ってもそうなのだが、パリの広い公園はどこもきれい。
エレベータを使っててっぺんまで行くと、他にこれほどまでの高い建物が少ないから、パリや周辺の街が一望できて最高。

そして昨日来た、シヤンゼリゼ通りの凱旋門に。凱旋門って観ていると、アウステルリッツの戦いなどの絵が刻まれている。で、意外と知られていないと思うが上まで登れる。しかし、エレベータが故障しているとかで、長い螺旋階段を目の回る思いで上った。凱旋門から放射状に10本くらいの道が延びていて、上から見ると、特に長くまっすぐ続いているシャンゼリゼ通りがいい。

1999年3月16日

ベルサイユ宮殿 - 行きそびれたとこ

本日の予定
「ベルサイユ宮殿 - 行きそびれたところ行けるだけ」

パリから電車に乗ること30分くらいのところにある、パリの外にあるベルサイユ宮殿へ。
宮殿内の装飾とか家具とかは、まさに豪華絢爛。これでもかというほど次から次へとでてくる。
宮殿よりも驚いたのは、とてつもなく広い庭園。向こうの端がかすんで見えないほど。それから日本と比べるとパリは湿気がなくてすぐにのどが渇いていたのだが、ここはすこし湿地なのか、湿気があって過ごしやすいところやった。庭園内のオープンレストランでの食事もよかった。なんとも言えないほどいいところだった。

もっと見ておきたいところもあったので、パリへ戻って、オルセー美術館へ。
作品の数はルーブル美術館と比べると少ないのだが、内容はこちらのほうがすごいのではないかと感じた。(たんに、知ってる絵が多かっただけやけど)
建物も昔の駅をそのまま利用しているだけあって、これも一つの作品のようで楽しめる。

さて、ルーブル、オルセーときたらもう一つ、オランジュリー美術館。ここには、大きすぎてなかなか外には持ち出さないだろう「モネの睡蓮」があるのだが、「しばらくお休みします」の文字が入り口に。残念なんて言葉で解決できないほどの残念。(やっぱり残念が多いなぁ。しかしこれはちゃんと調べておけば分かったやろうに・・・)

そして、この旅行もっともリッチな食事をアットホームな感じのレストランでとって、ホテルに戻った。

1999年3月17日

帰国

あっと言う間の帰国。もっとあっちこっち見たかったのやけどな。

しかし、すんなりと帰れない。飛行機は例によってドイツで乗り継ぎなのだが、今回は乗り継ぎ時間は1時間。なのに、ドイツへ着いたのは1時間遅れ。「どうすりゃいいのだ?」と日本人同士困っていたけどしかたないわけで。そんなこんなで、猛ダッシュの日本人数人。エレベータが行っちゃったのでどう見ても進入禁止のマークがついているような階段を駆け下り、もどかしいパスポートのチェックを受け、みんなで急いで搭乗口まで行くと、「ただいま、乗り継ぎのお客様をおまちしてます」のアナウンス・・・。何やってたんだろう。
まあ、飛行機なれしていないとはこういうものかと思い、日本へ戻る。

振り返ってみると、なんだか、駆け足過ぎてあまりゆっくりできなかったような旅やったが、初めての海外と言うことで、あっちこっちでカルチャーショックを受け、いい刺激を受けれた旅行やった。
反省点としては、ちょっとガイドブックに頼りすぎたことかな。もうちょっと別の角度で調べていったらよかったかなと思う。とくにお店とかは。(まあ、現地でうろうろ探すものおもしろかったのだが。)
また、外に出て何がわかるって、それは今の自分がどういうところにいるかってこと。例えば、日本は外国語表記が少ないこと。アテネやパリで、現地語でしか書かれてないところは困まったが、日本と比べるとまだ多かったような気がする。

パリで心残りなもの。それは、オランジュリー美術館で睡蓮が観れなかったこと。
しかし、かえってしばらくすると、京都の美術館でやってるじゃないですか、オランジュリー美術館展。「パリで観れへんかったモノが、なんで京都にあるねん」と思いながら、見てきた。しかし、パリの美術館と比べると人が多いし、じっくりみれないし。しかも睡蓮ないし。「今度パリに行ったらオランジュリーに行こう。そして睡蓮とここで観た絵をもう一度観よう。そしたら、また違った感じで観れるんじゃないかな。」と思う。

2002年1月19日

中部一週 1日目

友人が車を手放すということでラストラン。
なんとなく金沢方面へ。途中友人が琵琶湖をちゃんと見たことがないというので奥琵琶湖へ行くが、雪で通行止め。(道路の遮断機が下りてるの初めて見た)
夜、金沢に到着し金沢市街を散策。美味しいお店を聞き、旅打ちで友人は勝ちので、楽しい夜やった。

2002年1月20日

中部一週 2日目

金沢で昼くらいまでウロウロし東へ向かう。
途中富山の常滑や散村に寄り、上越でお昼ご飯(すでに3時やったか)を食べ、長野道を通り長野県を抜け、さらに中央道で東へ行き、河口湖まで回る。すでに真っ暗。
そのつもりはなかったのに中部地方一周旅行になった。ほとんど移動やん。(笑)

2002年2月 9日

四国一周 1日目

友人とタイヤがワルになったファミリア君で四国1周の旅へ。

いちおう2泊3日とは決まっているが、どこに泊まるか、何処に寄るかは、気分と時間次第。
四国一周とはいえ、四国までだけでも時間がかかる。
岡山の後楽園に寄りつつ、瀬戸大橋を渡る。
瀬戸大橋の途中にある沙弥島の瀬戸大橋記念公園に寄りつつ、初、四国上陸。
香川ゆうたらうどんやろうと言うことで、東京にいる四国出身の友人にうまいうどん屋を聞くため電話。すると、「どこなとうまい。」と返事。
とりあえず、見つけたよさげなうどん屋に入る。たしかにうまかった。(大喰い二人組やし)もう一軒行こうと意見が合い、こんどは古い感じのお店へ。それでもうまい。でもって安い。
さらに西へ向かい、時間的に今日の限界そうな愛媛県西條市で宿を取る。
そして飲み屋さんへ。

2002年2月10日

四国一周 2日目

泊まったビジネスホテルの朝食にはポンジュースが。さすが。
西條市を後にし松山市にある、一緒に行った友人の友人が働いているという楽器屋さんへ。旅先で人に会うっていいなぁ。
松山市街地を散歩し松山城へ行った。松山市は思ってたより大きな都市で驚いた。駅前に繁華街、城、少し離れたところに道後温泉と集まっていていい感じ。

そしてお昼くらいに松山市を後にする。途中のサービスエリアでポンジュースなどを買う。
宇和島など四国の左端を南下。これがまた地図で見ていた以上に距離が長い。
足摺岬に到着したときにはすでに真っ暗で、岬の駐車場までは行ったが先まで歩いていくのは怖いのでやめ。

もう暗いが、行けるモノなら高知市までと四国の下を東に走る。四万十川などあったけどスルー。
そしてなんとか高知市に到着。高地と言うことで鰹のいただける飲み屋さんへ。
冬は鰹のシーズンではないらしく、夏に来ればいいとのこと。

この日オレはかなり風邪気味であった。

2002年2月11日

四国一周 3日目

まずは高知市散策。高知城に坂本龍馬の生家へ。そして桂浜へも寄る。
昨日までいた四国の北側は山には雪が積もっているほど寒かったのに対し、南はすごく暖かい。四国恐るべし。

海沿いを東へ走り室戸岬へ。先っぽの先っぽって感じで良い景色。
今度は四国の右端を北上し徳島市へ。
徳島と言えば何かね、と言ってコンビニへ寄り見つけた徳島ラーメン本。ということで徳島ラーメンを食べに行く。豚玉が特徴らしい。
でもって、(大喰いの二人なので)もう一軒行こうと、もう一杯食べる。食べ終わると、すでに暗くなっていた。

鳴戸大橋を渡り(夜なので渦潮なんて見れない)、淡路島を抜け(ずっとー真っ暗で何もわからん)、明石大橋の麓へ。
明石大橋は時間によってライトアップの色が変わるのできれいだった(ってか明日仕事やのに明石大橋ですでにPM9時)

名神を走るが、滋賀県から雪が強く除雪作業のためノロノロ運転。ノーマルタイヤで危なかった。

そして浜松に着いたのはAM3時やったかな。

いやーバカな3日間だったが、達成感満点。
(長距離ドライブなのに、後半、運転があまりできなくて友人に申し訳なかった。)

2002年7月20日

野辺山宇宙電波観測所

浜松から257号線駒ヶ根経由で野辺山にある野辺山宇宙電波観測所へ。約6時間くらい。
遠くからもわかりやすいくらい見える直径45mの電波望遠鏡を始め、ほかにも中くらいのやちっちゃいのがズラッと並んでいる。

甘い物好き3人で行ったので、清里にある清泉寮ミルクプラントにも寄る。アイスクリーム
は、さっぱりしたミルクプラントに軍配が上がった。

気持ちの良いドライブやった。

2002年9月21日

USJ

研究室OB+現役メンバーでUSJへ。(たまたま前日に京都出張が入ってた!)

USJでの飲料水が実は工業用の水道だったとか火薬の量の問題の後なので、なにやらそれ関係の幟を持った方が何名か表におられた。

入り口の大きな地球儀を遠近法で持ってるみたいな写真ばっか撮ってたり、
ジュラシックパークのウォータースライダーでの落ちる瞬間に撮られる写真でみんなでポーズを決めよう、ってので盛り上がり何度も乗ってみたり、
とバカなことばかりやっていたが、何より今日の一番はウォーターワールド。
何を思ったのかみんなで「ズブ濡れゾーン」に陣取って見てると、前座で会場を盛り上げるゴキゲンな兄ちゃんが容赦なく前から水をかけまくり、極めつけは兄ちゃんがバケツに水をたっぷり入れて友人ところへ。会場全員の目が友人に注がれる中、周りに座っている我々はカバンを避難。まさかそれはないやろうと思っていたが、見事ゴキゲンな兄ちゃんは友人の頭の上でバケツをひっくり返した。もーみなさん大盛り上がり。いやー、まさかここまでズブ濡れゾーンやとは。
これって冬でもやるんやろか。

2002年10月27日

一号線沿い

東の方へなるべく一号線を走るドライブ。
富士山きれいとか言って河川敷に降りたり、田子の浦で堤防走ったり、富士海岸で強風のため車から出られなかったり、最後は1号線走って箱根。すでに夕暮れでどこも寄れなかった。

2002年11月16日

鎌倉

ついでがあったので、一度行きたかった鎌倉へ。鎌倉、江ノ島周辺の交通機関フリーパスを購入し、いざ出発。ちょっと紅葉には早かったようだ。
鶴岡八幡宮、さすがの人出。
北鎌倉へ移動し、建長寺、円覚寺。門が立派。
鎌倉へ戻り、由比ヶ浜大通りを西へ歩き、高徳院の鎌倉大仏。羽が生えてる。中の入れるのだが人で一杯。
ちょっと南へ下がり長谷寺へ。丘の上にあるので景色が良い。
江ノ電に乗って稲村ヶ崎へ。夕日がきれい。

2002年11月17日

鎌倉

今日は江ノ電沿いで。
江ノ島。やけに階段とネコが多い。先にある洞窟に寄る。ロウソクを手渡れるほど暗い。夏は一杯なんやろうけど、さすがに秋は空いている。ってか寂しい。
江ノ島から稲村ヶ崎の間、江ノ電乗ったり降りたりを繰り返す。お寺寄ったり、ロケ地周りしたり。
江ノ電は距離自体は短いが、海沿いや家のスキマや山の中や走ってたり、いろんなペイントの車両があったりでおもしろい。

昨日、あまり見れなかった鎌倉駅周辺を歩き、紫いもに、鳩サブレに、せんべいと食べ歩き。

さすが鎌倉、お寺が多く、京都出身としてはおちつく感じ。海もあるし散歩していて良い。横浜も近いし住むのにいいところだと感じた。

帰り、小田原から新幹線に乗る予定だったが、小田原-熱海が近いことに気が付いたので、熱海へ。駅前温泉に寄って帰る。また熱海にはゆっくり来よう。

2003年1月15日

韓国出張 1日目

ソウル出張。

自身久々の海外。でも韓国って近い。
空港まで先に現地入りされていた営業の方に迎えに来てもらい、今日は今回の仕事のセッティングをやってくださった現法の社長にご挨拶。御立派なビルやった。
そして、今回お世話になる梨泰院(イテウォン)のスタジオへ行き、打ち合わせ。
ヒップホップな感じの兄ちゃんが社長で、小柄ながらも姉御って呼びたくなるような女性がエンジニアのスタジオ。ここは、オーケストラの収録もできるかなりいいところらしい。ビルの外見とは違ってきれい。
打ち合わせは軽く済ませ、日本は、、韓国は、、、とか兄ちゃんとお話しする。

夜、焼き肉食べに連れて行ってもらう。
ウワサ通り、まず机はナムルで埋まる。そして肉は多い。キムチは混じりっけなくストレートにうまい。肉はいうまでもない。

ホテルの予約は営業の方にお任せしたのだが
・・・一人やのに、ゼミダブルのベットが2つあってもまだまだ広い部屋
・・・良すぎだ。

あくまで出張。観光ではない。

2003年1月16日

韓国出張 2日目

今日は直接タクシーでスタジオへ。オレの韓国語でもなんとかなるらしい。
一緒に仕事しているネイティブの方が説明してくれて姉御が黙々と取ってくれる。たまにコレはどうなんだい、と討論になる。たまに分かるのと最終はオレなのでちょこちょこ参加。

スタジオにSound&Recordingの韓国版があり、いくつか飾ってるので何が違うのか聞くと、こっちのはここでレコーディングしたアーティストだ、と言う。
とまあ、無事仕事終える。
で、さっきアーティストを聞いたのでそのCDを買おうと思い、一緒に仕事している方にお願いして、ソウルでいやアジアで最大のモールコエックス・モールへ。
本屋一つとっても広いショッピングモールにレストラン、フードコート、はもちろん、映画館、クラブ、キムチ博物館、あげく韓国最大の水族館まである。
こんなデカイのが都心にある。見た目も水をテーマに作られたところですごくいい。見て回るのに1日じゃ足りないくらい。
そこで目的のCDを何枚か購入。なかでも「COOL」最高。

そして、今日も焼き肉をおごってもらう。

あくまで出張である。