2022年2月20日

天草2

本渡瀬戸沿いで気になった人道橋。橋の中央部分がリフトになっていて、夜と船が来た時はすぐ上にある管理室からあげているよう。天草には島がたくさんあるが、橋がとにかく少ないのでこの橋はすごく重要というのはすぐわかる。

本渡の市街地からすこす南にある、明治時代に造られた楠浦の眼鏡橋。写真で見た感じはもっと小さいのかと思っていたが長さ26m,幅3mとなかなかの大きさで、てっぺんまで登るとなかなかの高さでとても安心感がある。形もだし、少しだけある欄干も合わせてとても優美な感じがする。

ちょっと調べたら本渡の市街地にも古い橋があるということでそちらの祇園橋にも寄ってみる。
こちらは石橋ながら脚が多くかなりフラットな橋になっている。ここは島原の乱で戦火になった場所で、乱のあと200年祭(といっても江戸時代)に庶民の協力で建てられたのだそう。多脚式は珍しく国の重文になっている。危険なので渡れないが、住宅街にこれを壊さずに残っていることがすばらしい。
最後に、この島への重要な道路橋、天草瀬戸大橋を眺める。瀬戸を抜ける船を考慮して、両サイドがループ橋になっているのが特徴。ローカルテレビとかを見ていて、なんとか体操的なのんの歌詞にも出てくるくらい象徴的で、この風景がふるさとなんだろうなと思う。ただ、ループ橋の入り口の交差点が複雑になり、また交通量も多く平日の朝は大渋滞になるようで、今、もう一本建設中だった。

今日は天気がいいので、昨日スルーしまくった絶景スポットに寄りながらまずは熊本方面へ。
まず、ローカルニュースでやっていた上島の祝口観音の滝へ。教良木(きょうらぎ)ダムへ流れ込む滝。滝と言っても300mほどの岩のスロープを流れ落ちる感じ。(ナメ滝というらしい)
滝のすぐ横に道があり滝の上まで行けるのだが、木が深くなかなか滝を見ることができない。でやっと木の隙間があると思ったら岩で滑り落ちそうだしで、全景はドローンでしか見られなさげ。ただ、こうやって谷や扇状地ができていくのやろなという果てしなさを感じることができた。
なお、教良木ダムは農業用の溜池でそれほど大きくはないが、ひさしぶりのロックフィルで個人的には楽しめた。
で、この辺り一体は岩の切り出し地のようで、削った跡があったり、ちょっとした家だと、お城の石垣でもなかなか見ない巨岩をもちいた石垣があった。

上島の北の橋、高舞登山(たかぶとやま)を登る。車でほぼ山頂まで上がれる。
山頂には展望台があり、手前には多島景、西に有明海、雲仙、東に不知火海、正面には阿蘇まで見える。やっぱり多島景はいい。
尾根には桜が並んでたので春はいい感じになりそう。

橋を一本渡って前島にある遊び、食事、お土産を通じて上天草市を紹介する複合施設、ミオ・カミーノ天草へ。こちらで天草陶器フェアをやっているとのことで寄ってみた。陶丘工房さんの粉引のボールをいただく。
隣のリゾラテラス天草にも寄り、塩パン屋さんで昼食調達。

宇土半島へ戻ってきた。三角とかいて「みすみ」へ。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産「三角西港」へ。
明治時代にオランダ人技師による日本の石工の技術をもって、山を削り海を埋めて造られた港湾都市。米、麦、麦粉、石炭、硫黄を輸出していたそう。世界遺産エリアは山の部分も含めて登録エリアで国の重文が街部分なので広い。
主なところは、埠頭、排水路、倉庫、役所、裁判所、公会堂などで、明治村のように移築されたんじゃないのってくらい、ぎゅっとまとまって残っているのが驚き。明治期の港町で残っているのは日本で唯一ここだけらしい。

中に入ることもでいる。単純に公開されているところ、レストラン、カフェ、博物館、から三角カバンのお店までいろいろ活用されているが、世界遺産の勧告の中で「価値の共有」「人々の暮らしの維持」というのがはいっていてその対応にもなっているよう。とにかくただ博物館化すると朽ちていくので活用されているのは重要。

排水路の石組みの緻密さがすごい。
山の方に登ってみると旧簡易裁判所があり、どんな感じで裁判が開かれていたのかというのと、劇場版るろうに剣心の撮影地だったようでその撮影の様子が展示されていた。ちなみに、街の方もだったけど、係の人が全然いなくて無人で展示されているのが驚き。

三角駅へ。ここは終着駅なので天草の玄関になる。木造の駅舎は明治時代に建てられたもので、特別特急が走るようになった最近リニュアルされたのだそう。とにかくおしゃれ。