2019年10月13日

あいちトリエンナーレ2019

ようやく展示が再開されたあいちトリエンナーレの名古屋会場へ。
そもそも「世界が感情に振り回されているのではないか」そして「その感情は情報によって煽られているのではないか」、というコンセプトなのやけど、ある意味、会自体が情報ではトーンダウンしているように見えていた。
そんな、ずれた話題tでほぼ期間中持ちきりやったわけやけど、よれたフタッフTシャツ見てると、毎日展示をしてきたスタッフやボランティアの方が支えて最後に全作品再開に持ってこられたんやろなと感じた。

メインのあいち芸術文化センター。会場内に再開に際しての宣言文がかけられていた。
最近の傾向らしく映像作品が増えている。見るのに時間がかかる。
ウーゴ・ロンディノーネの孤独のボキャブラリー。生活の中で人が取りそうな姿勢をした45体のピエロの人形。ポーズは人間らしいのだが表情は読み取れないピエロというところが、今回の芸術祭らしい作品。
石場文子の「2と3、もしくはそれ以外(わたしと彼女)」。被写体に少し手を加えて撮られた写真。輪郭線を書いて野獣派の絵みたく見える不思議な写真。
キーボードを叩く動きを再現したdividual inc.のラストワーズ/タイプトレース。キーボードを叩くタイミングや間違えも記憶しておき、それがフォントやキーボードに再現される、生々しい作品。
菅俊一の「その後を、想像する」。一連の流れの中の最後を見せないで予測しようという作品。平面、立体、動画それぞれで展開されており、心理学的な要素もある、最低限で単純ながら計算された絶妙な作品。こういうの大好き。

表現の不自由展その後、はタイムスロットの抽選制。そういうのは苦手なのでパス。
通ローの途中で段ボールを使った小学生が遊ぶ道具を作ったという作品が面白かった。

8階の会場。
無数のカラーチップを積み重ねて作られたPeakの作品のこまかさに驚きその制作工程の動画が展示されており地道な技法も驚き。
あとは、一見そうでもないけどよく見たり解説を見ると戦争など闇を扱った大型作品がならんでいた。連続して体感するといろいろ考えさせられる。

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円頓寺商店街・円頓寺本町商店街アーケード。名古屋にはよく来てるが、ビジネス街の隣にこんなに下町があるとは思わなかった。
狭いスペースに180点もの子供や車の絵。実際にあった事故の被害者と加害者の調査に基づくドキュメントのインスタレーション。見せ方が特徴的で強い思いを感じる

四間道に進んでいくと、壁や住居、ビルに作品がある。とその前に、周辺散策。ブラタモリとかで出てきた堀にかかる橋に、町屋が並ぶ路地、蔵が残る町並み。名古屋は何度も来ているのにこういうところが残っているイメージはなかった。
作者の名前「葛宇路」と書いた道路標識の作品。北京でこれを建てたら、地図サービスに載ってしまったのだそうで、何が本当なのかわからないのに、情報に振り回されている感がある。
また、この地区の昔の出来事の写真や昭和レトロな感じの写真が展示されている展示では、この写真を見てからこの界隈を散歩するのが楽しい。

名古屋市美術館。
一見爽やかな感じなのだが、自然保護を訴える作品。
1978年に初めて実施された参加型の作品で、来場者が男女平等をテーマにした質問に答えて貼っていくというもの。
器に描かれた絵の外側を立体で加えた作品。シリーズで展示されていて、発想がとにかく面白い。

美術館のある白川公園のゴミ袋も作品。